四月一日、僕らの青春が死んだ話

2019年4月1日、世では平成の次の元号が発表されているころ、僕たちの青春が一旦終わりを迎えた。

 

「一旦」と言ったのはあくまで願望に違いないのだが、そう思わずにいられなかった。

どうにかエイプリルフールの悪い冗談であってくれと、僕たちは思ったはずである。

 

長年愛し、待ち続けていたその日がもう来ることはないのだとすぐに受け入れることはできなかった。今も出来ていない。

 

半年ほど前から少なからず不安で、心配ではあったけれど、また5人でステージに立つ姿を見られると思っていた僕たちはこれからどこへ行けばいいのだろう。

 

14歳のとき、初めて直に触れたJanneDaArcの音楽。

それまで音楽に興味がなかったのに、彼らのサウンドに触れた瞬間、音楽への、JanneDaArcへの扉が開くのを確かに感じた。

あのときの感覚はいまでも覚えている。

 

クリスタルボイスと称されるyasuの歌声で始まる「fell the wind」。こんなに美しい声があるのかと、一か月経たないうちに僕は14歳の少年から14歳のJannerへと変わっていた。

 

yasu you ka-yu kiyo shuji

5人の作り出す音楽は広いヴィジュアルシーンの中で唯一無二だった。

それゆえ、彼らはヴィジュアル系の中でもJanneDaArcという1つのジャンルを作り出したと言われているのだろう。

(ヴィジュアル系?No、JanneDaArc!みたいなコピーを雑誌で見た気がする)

 

2007年に活動休止して以来、各々ソロ活動を続けていて、それはそれで僕たちは満たされていたが、ここ数年は明らかに「ジャンヌが足りない」状態だった。少なくとも僕はそうだった。

そんな状態でのyasuの体調不良、ka-yuの件、心配事が続き、昨日4月1日、僕たちは暗闇に取り残された。

 

14歳の僕にとって、音楽とはJanneDaArcだった。

14歳の僕にとってのファッションはJanneDaArcだった。

14歳の僕の、全てはJanneDaArcだった。

そんな彼らの終わり方が、僕たちの終わり方が、こんなことでいいはずがないと思わずにいられない。

今までありがとうって気持ちは確かにある。だけどこのやり場のない途方も無い思いとの過ごし方を僕たちは知らない。

だから今はただ、ひたすらに泣こうぜ。

全世界のJannerよ、僕も君と同じ気持ちだから、今はただ涙を流そう。

辞めないでとか、いつか復活してとかいいたいの我慢してるよね。全部飲み込んで涙に変換してやろうぜ。

そしていつかジャンヌオンリーカラオケとか一緒にしような。

解散したってJanneDaArcの音楽はなくならないし、彼らが音楽をやめるわけでもない。熱狂した時間は体に刻まれている。僕たちが彼らを思うように、彼らも僕たちファンを思ってたのは感じるだろ。

それだけ心を動かされていたことに感謝しようぜ。

 

僕たちの青春で、僕たちの人生で、僕たちの全てだったJanneDaArc

それを失った心の穴が埋まる日がくるとは到底思えないが今はただ、僕と一緒に泣いてくれ。

 

 

 

思えば14歳のときに出会い、ちょうど14年間心はJanneDaArcとともに生きてきた。

人生の半分だ。

半年前さらにその半分の7年間共にした人を失い、修復しかけた頃にこの報せはあまりにもつらいが僕たちは今日からJanneDaArcがいない世界で生きていくことになる。

失ってばかりの1年が終わる。

新しい1年が始まる。

人生の半分を失い、残った半分も失うのか、それともなくなった部分が埋まっていくのかわからないが、僕は片割れを探して生きて行くのだろう。

 

 

最後になりましたが、

元号の「令和」。

素敵だと思います。僕は好きです。

令和元年 れいわがんねん

字面も音もいい感じだと思います。

共に過ごした平成が終わるのは寂しい気もするけど、新しい時代を精一杯生きていきたいと思います。

 

平成は僕たちが育った時代。

令和は僕たちが創る時代だ!!

クレイジーな時代にしてやろうぜ!

 

そんなことを友達と話したりしてます

 

おわり

 

 

ねてぃこ(おみ)